ほくせいよいちPTAひがしにほんOBかい

北星余市で見つけた、挑戦という宝物

2007年卒/折れない心

尾崎ひかる

profile

おざき ひかる

1988年10月生まれ 千葉県出身

地元の中学校で不登校を経験

2004年北星余市高校に40期生として入学

2007年 卒業

いくつかの職業を転々とした後、トラック運転手に

2015年5月 仕事中の事故により脊髄を損傷

現在、車椅子生活を送りながら、社会人として前向きに活動している


★卒業生キラ星インタビュー★


 トラック運転手として充実した生活を送っていた尾崎ひかるちゃんが、仕事中に大怪我をしてから10ヶ月が経過した2016年3月20日の午後。待ち合わせた行徳駅の改札口に、彼女は車椅子で迎えに来てくれました。駅から徒歩5分ほどのカフェレストランでお話を聴きました。

(聞き手:PTA林田真理子)


―事故に遭ったのは去年の5月だね。
「運んできた荷物を降ろそうとした時に荷崩れが起きて、よけようとしたけどよけきれなくて、背中に落ちたんです。その瞬間から下半身の感覚がまったくない。直観的に『これはやばい』と思いました。背骨と後ろの肋骨が何本か折れて、脊髄を損傷していたんです。」

 緊急入院して手術を受けたものの、退院後も車椅子生活を余儀なくされたひかるちゃん。 でも、スキューバーダイビングなどに積極的にチャレンジしていると聞きました。そんな彼女の前向きな行動の原動力って何なんだろう。

―怪我をしたことで気づけたこともあるのかな?
「今まで意識してなかった、例えばお店の入り口の段差とか、気がつくようになりました。日本はバリアフリー化が進んでますね。それに、優しい人が多いんだなって。稲毛の海に日光浴に行って、車椅子が砂にはまっちゃった事があるんですよ。スロープ付きの砂浜なんですけど、身動きが取れなくなって。そこにたまたま通りかかった人が助けてくれたんです。そんないい出会いが沢山出来ました。北星余市の先生や友だちにも支えられてます。入院中には、担任だった今堀先生が北海道から会いに来てくれたし、兵庫から弾丸で来てくれた友だちもいる。観光も無しだって。」
―すごいね。
「ありがたかったですね。北星余市の仲間は全国区ですから。」
―その北星余市に入ったきっかけから聞かせてくれる?
「中学のとき、学校を遅刻したりさぼったりするようになって、そのことが原因で友達とも先生とも親ともうまくいかなくなったんです。私、同性からあまり好かれてなかったみたいで。」

 ある日の放課後、クラスの女子だけ残されて、教室の中にひかるちゃんと女子全員と担任の先生だけ、という状況になり、彼女一人がみんなから批判的なことを言われたことがあったそうです。『あなたが悪いんだから反省しなさい』あるいは『私たちの悪口を言ってるでしょ』と言いがかりのようなことまで。集中攻撃でした。この出来事で、学校に行く意味を完全に見失ったひかるちゃんは、外で夜遊びするようになり、両親に叱られるから自宅からも足が遠のきました。そんな悪循環が出来あがるのは、あっけないほど簡単だったといいます。

「ただ、学校に行かずに遊んでいるのはよくないっていう思いが心のどこかにあったんですよね。変わりたいっていう気持ちがほんのちょっとだけでもあった。そんな時、母がちょうどいいタイミングで北星余市のドキュメンタリー番組をテレビで観て、それがきっかけで、母と相談会に行き、学校見学にも行って入学に繋がりました。」
―遠い北海道に行くことに不安はなかった?
「ありましたね。親とも地元の友達とも離れたいって思ってたはずなのに、いざそうなったら寂しくなってしまって。入って最初の1年間くらいはしんどかった。幻覚が見えるほど。」
―幻覚?
「廊下を歩いている人が地元の友達に見えて声かけちゃったり、教室にガラッと入ってきたつか(塚原先生)がお父さんに見えてドキッとしちゃったり。とにかく眼鏡をかけたおじさんがみんなお父さんに見えた(笑)。私って結構お父さん子だったんだって思い知らされました。お父さんが時々手紙を書いてくれたんですよ。夜それを部屋で一人で読みながら泣いてましたね。それくらいホームシックだった。」
―その状態をどう乗り越えたのかな?
「入学してすぐ彼氏ができて、精神的な支えになってくれた。そのおかげで、特に最初の1年は何とか通えたんだと思います。それと、寮のおじちゃんとおばちゃんにも支えられました。すごく可愛がってもらった。」
―友達との関係は?
「2年目以降は、女友達と接する機会を増やしたんですよ。1年生の時は彼氏とずっと一緒だったから、お互いもっと同性の友達との関係も大切にしようっていう感じになって。忘れられないのが、3年生の冬休みに行ったオーストラリアの語学研修。昔から人に言われたことってやりたくない、あまのじゃくだったんだけど、母親から『行ってみたら』とすすめられて行ったら、本当にいい経験になった。それが、自分の中では大きな出来事でした。全学年が一緒で、それまでしゃべったこともない人とも仲良くなれて嬉しかった。人に言われたことでも受け入れてやってみるのはいいことなんだなって、考えが変わりましたね。」

 地元の中学で、色の違う異質なものとして集団からはじき出された過去を持つ彼女にとって、それは新鮮な経験だったようです。かつての自分ならまず友達にはなれないだろうと思われたタイプも含め、いろいろな色を持つ仲間達と仲良くなれた。あれこれ考えたり心配したりする前に、一歩踏み出したら思いがけない世界に出会えた。それは、その後の人生にも少なからず影響を与えるものだったに違いありません。

―卒業した後は?
「3年くらい職を転々とした後で、ぽっかりと4カ月くらいの空白が出来たんです。その時、ふいに『あ、トラック乗りたい』って。思いつきみたいだけど、すぐ行動に移しました。私の免許はオートマ検定だったから、自動車学校に通ってマニュアルの免許を取って、知り合いの会社を紹介してもらって今も在籍しています。22歳で入って、26歳で怪我をするまで、社員としてトラックの配送の仕事。自分には合ってたんですね。一人で気楽なんだけど、無線や電話で同業者や会社の仲間、友達や先輩とも連絡を取り合いながら仕事ができるのが何だか快適で。一人だけど孤独じゃないっていう感じがちょうどよかった。
怪我をしてしまった今、充実していたあの頃の事を思い出すと、情けないなぁって思いますけどね。同じ仕事には戻れない。やっと見つけた自分の居場所をまた失うことになって、これからどうしようって。怪我をしたつらさというより、またそれを考えなきゃいけないのがつらいですね。」

諦めるっていう事はしたくなかった


 悩みを率直に語ってくれたひかるちゃんですが、一方で前向きな言葉も聞かせてくれました。

「今回の怪我は、自分を責めたり起きたことを振り返ってもつらくなるだけなので、次の日からは、自分がこれから何をやらなきゃいけないのか考えるようにしてました。まずは退院すること。それを目標にリハビリを頑張りました。車椅子に乗れるようになりたい、車を運転したい、みたいな目標があれば頑張れました。諦めるっていう事はしたくなかった。やれば出来る事は沢山あるんだから。」
―スキューバーダイビングもやってるんでしょ?
「実は、去年の4月にライセンスを取ったんですよ。で、5月にパラオに行って、戻って、その5月の終わりごろに怪我をしちゃったんですけど、ダイビングはこれからもやりたいって思ったから、調べたんです。それで、こういう状態になっても出来るということがわかって、じゃあやろうと。ジンベイザメが観たいと思って調べたら、フィリピンのセブ島で観られる、日本人が経営している、障害者も受け入れてくれるダイビングショップがあるとわかった。うちの妹とその彼氏が、作業療法士と理学療法士っていうリハビリを担当する国家資格を取る勉強をする学生で、ちょうどいいなって思って、声をかけたら快く来てくれて、母と4人で行ったんですよ。実際には、現地の力持ちさんが対応してくれて、彼氏さんには負担をかけずに済みました。次は友達と行っても大丈夫かもしれない。」

―今振り返って、北星余市はどんな存在?
「私、面倒くさがり屋で、人にすすめられても興味があってもやらないっていうことがよくあったんです。でも、まずやってみることが大事なんだって気づかせてくれたのが北星余市。本当に行ってよかった。両親とも、しばらく離れたことがよかったのかな?。中学の時より、明らかに仲良くなれました(笑)。ペーパードライバーのお母さんを乗せて、よくドライブにも行きます。手動運転装置を使ってレンタカーを運転することもあるんですよ。」
―楽しそうだね。今日は長い時間お話を聴かせてくれて、本当にありがとう。

『海にも入れる砂浜用車椅子を無料レンタル、脊髄を損傷して車椅子生活を送る市川市の会社員、尾崎ひかるさんが試乗』
 インタビューから約1年半が経過した2017年8月、毎日新聞にそんな記事が載っているのを偶然目にしました。脳性まひの後遺症で自身も車椅子を使う大学生の藤田さんらのグループが、市に寄贈した米国製の砂浜用車椅子。その感触を楽しむひかるちゃんの写真が紙面を飾っていたのです。とても楽しそうなその笑顔を見ながら、なんだか嬉しい気持ちになって連絡をとってみました。
「あれは、たまたま友だちと鴨川に遊びに行ったら取材されちゃったんですよ(笑)。波打ち際まで行けると思わなかったから嬉しかったですね。そうそう、北星の3年先輩でダイビングのインストラクターをされている鈴木雅子(みやこ)さんに、今度特訓してもらう約束をしてるんです。妹の鈴木智子ちゃんが私と同期なんですけど、パラオでばったり会って、それがきっかけで知り合いになれた。すごい奇跡的な巡り合わせですよね。仕事の方は、元々所属していた運送会社で事務をやっています。車椅子で働けるように職場を改装してもらったので、本当に感謝しています。こういう身体になったからこそ出来ることが、もっとあるのかもしれないけど、あまり背伸びをせず身の丈に合った目標をたてていければいいですね。」
 気負うことなく、自分のペースで前向きに生きるひかるちゃん。全国脊髄損傷者連合会の役員にもなり、現在入院している人たちに助言や情報提供などをするピアサポート活動にも取り組んいるのだそうです。
「少しずつだけど、同じ立場の先輩として役に立てたらなと思ってます。」
 北星余市で見つけた、挑戦という宝物。その輝きが今も、彼女の背中をそっと押してくれているようです。
 



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