北星余市のやり方でやってやる
1997年卒/NHKディレクターの北星魂
かない よしすけ
1976年2月生まれ 千葉県出身
地元の高校を1年で中退
1994年 北星余市高校に30期生として入学
卒業後はTV番組制作会社「テレビマン・ユニオン」を経てNHKへ
2015年8月よりNHK福島に異動。
★卒業生キラ星インタビュー★
(聞き手:PTA白土隆)
当時はNHKに移る前で、在籍していたのは「テレビマン・ユニオン」という、テレビ番組制作の分野では日本の草分け的な存在といわれる会社です。
そんな彼が、その壁とどう向き合い、克服していったのでしょうか。
“北星余市の金井”という軸足で立っている。
高校1年生になったある時、金井少年は突然学校を辞める決心をします。親や周囲のどんな説得にも意志を曲げない、15歳の反乱でした。
まる2年間くらい学校に行ってなかった僕は、世の中のいろんな人に『なんで他の子と同じように学校に行かないの』というような目で見られるから、日中に外に出るのが面倒くさくなって、真夜中に出歩くようになった。それに引きかえ、北星余市は何をしてもまず『いいね』と言ってくれる。家でギターを弾いて、騒音だと苦情を言われてたのが、寮でギターを弾いてたら、みんな『もっと歌って、あれ聴かせてよ』とか言ってくれる。こんなに俺のことを認めてくれるんだって嬉しくなる。そこは決定的な違いでしたね。」
その後、映画プロダクションやテレビマン・ユニオンを経てNHKに入社した金井くんが、その大きな組織で戦い抜くために武器にしたもの、それは他ならぬ北星余市だったといいます。
もう軸足になってるんですよね。“北星余市の金井”という軸足で立っている。どこかにちょっとふらふらと行ったとしても、ここに戻ってくれば、自分の信じたものとか大切にしているものとかがちゃんとある。
世の中、自分さえよければっていう風潮がありますよね。ひとを助けてなんかいられないとか、ひとからかすめ取ってでも生きていかなきゃとか。僕にとっては北星余市を出ているということが『セコいことは出来ない』『カッコ悪いことはできない』という想いに繋がっている。不器用で遠回りでもそっちを選ぶっていうのが北星余市で経験したことで、そういう人が今の社会で必要だと感じます。有名な大学を出てどうしようもないことをしている人もいっぱいいますよ。そんなのより、よっぽど崇高じゃないですか。」
北星余市依存症に苦しむ時期が1~2年はありました。
実は3年間は大した根は張ってないんですよ。その後、一人ですごい根を生やしたんですよね。北星余市という根っこを。」
北星余市に集まる子の多くは、今の世の中の歪みや矛盾に対して違和感があって、拒否反応としてつっぱったり引きこもったりするんだと思う。それは素直な感情だし、ねじ曲がった世の中に無理に自分をあてはめようとする必要はないと思うんです。北星余市依存症に変に蓋をしないで、ちゃんと向き合った方がいい。思い出していいんです。自分は確かにあの場所で輝けていたなって。その環境って探せば世の中にあるんですよ。僕の前の会社みたいなのが。そういう環境だったらキラキラできるんです。
それを見つけるまで、根っこをじっくり育てる時期があってもいい。むしろ、生きづらい今の世の中をちょっとずついい方向に変えていける、北星余市を出た子たちにはそんな可能性だってあると僕は信じています。
僕の場合、前の会社でも『自分は北星余市の出なんだ』と繰り返してるうちに根っこがどんどん張ってきたから、NHKでも『北星余市のやり方でやってやる』ってなれる。今悩んでいるかもしれないですけど、逆にすごい根っこを育てている、いい時期なんじゃないかな。」
しかし、そのお父さんは「測ってみなけりゃわからないじゃないか」と、自主検査用に米を作りました。出荷するためではありません。それは村の灯を消さないためでした。安全な米を作ることができるとわかれば、避難している住民が、また村に戻って来れる。そのために国の制止を振り切って、あえてルール違反をしたのです。
金井くんは、起きてしまったことに恨み節をぐずぐずと言い続けるのではなく、今できることを精一杯やるという、お父さんの姿に強く惹かれたと言います。
僕はこれまでもそういうスタンスでやってきたし、これからも同じです。」
第1回のテーマは『田んぼより愛を込めて』。その中で“反骨の米農家”として取りあげられたのが、あの川内村のお父さんだったのです。番組は、あたり一面を黄金色に輝かせる田んぼを見ながら「生きててよかった」とつぶやくお父さんの言葉で締めくくられています。
何年もの間取材し続けた成果を、またひとつ形にした金井くん。これからも、北星余市という軸足を地につけて、人に寄り添いながら、その時々の福島を伝え続けてくれることでしょう。
☆金井くん渾身の新番組HP紹介☆
このホームページを形作るために頑張ってくれたのが、北星余市で金井くんと同期だった木下尚久さん。また、番組のテーマでもある地図のデザインに深く関わったのが、同じ寮の一年先輩だった平明広さん。さらに7年後輩にあたる関由里亜さんのお父さんが経営する、福島市のめばえ幼稚園が、タイトル映像や声の出演で全面協力してくれたそうです。「北星余市同士のあうんの呼吸で、圧倒的に話が早く進みました。ひとりで番組を立ち上げ、ホームページまで作れたのは、実は北星余市人たちがいてくれたからなんですよ。」と語る金井くん。北星余市の底力を感じさせるエピソードですね。
卒業生や在校生らのインタビューは、北星余市高校HPでも多数ご覧いただけます。