おやのおもい

パパから親父へ 空白の5年間

2012年卒業生保護者

渡邊明雄

 今回は、2009年からの3年間PTA役員として活躍された渡邊明雄さんです。人に優しく涙もろい父さんとして、皆から慕われる渡邊さん。
 息子さんの卒業と同時に発行された『親たちの卒業文集』の中に、当時の思いを綴っています。ご本人の許可をいただいて紹介します。
 息子から「パパ」と呼ばれていた時代、幸せでした。近所の人から「ケンちゃんは、ほんと、子どもらしい子どもね〜!」と言われるような、明るく活発で少し泣き虫な息子と、人見知りはするけど、皆に優しく弟思いで頑張り屋の娘。独立したいと脱サラし無収入となった中、少ないバイト代を笑顔で頭上に掲げ「ご苦労様です」と言ってくれた女房。そこには貧しいながらも温かい家庭がありました。
 その後、会社も軌道に乗り始め、取引先の接待、仕事仲間との飲み会と、連日のように午前様が続き、家庭を顧みなくなっていた私は、自らその温かい家庭を壊して行きました。夫婦喧嘩も多くなった中、息子は中学に進学し、子どもとの接点も無くした私は遂に「パパ」と呼ばれる事も無くなりました。
 気がついた時には息子の顔から笑顔が消え、学校では授業崩壊の当事者として学校とのいさかいが絶えなくなって行きました。ようやく入った地元、千葉県の高校では一転してやる気を失い、学校をさぼり、昼夜逆転、挙句に妻や姉への家庭内暴力が始まり、私は名ばかりの父親として毎日叱る事と、夫婦で帰らぬ息子を夜中じゅう探し回ることが日課となりました。真冬の深夜一時頃、学生服のまま一人公園のブランコに座っていた息子を発見した時には、夫婦で涙した事を今でも覚えています。
 案の定、二年には進級できず退学の道を選んだ息子に、私はどうしても『キラキラ輝くような高校生活』を送らせてあげたいと、北星余市にたどり着きました。
「三人でなかよし家族でも演じてろ、このブタ野郎共が!」
入学早々、息子から届いたメールです。親も子も不安だらけの北星生活がスタートしました。私は不慣れなPTA活動に参加し、息子の学校と関わる事がせめてもの罪滅ぼしでした。
 そんな矢先の出来事で、息子は入学後2ヶ月も経たずに無期停学となりました。下宿の同級生を殴り怪我をさせたことが原因です。大事には至りませんでしたが、当たり所が悪ければ失明するかもしれない怪我でした。謝っても謝りきれない状況の中、翌日その同級生は「このまま一緒の下宿で卒業まで頑張るから」と担任に息子の処分の軽減を訴えてくれたそうです。その日帰ってきた息子とは退学を覚悟する事と、万が一の時は親子でその子の目となり一生尽くすことを誓いました。息子は号泣しながらもうなずきました。今こうしていられるのはその同級生のおかげです。また担任の池田先生には謹慎明け、自宅に泊め一緒に登校していただくなど職域を超えた恩恵をいただきました。
 北星余市の素晴らしさを親子で実感出来た忘れられない出来事であり、この事件が起点となり北星と関わる事で親子共々成長する事が出来ました。

 夫婦で参加した一年の北星祭では「けんすけ!」との呼びかけを無視して通り過ぎ、「気安く話しかけるな!」とメールしてきた息子でしたが、二年時の手伝いで参加した強歩では、「親父!ご苦労さん」と大きな声で息子の方から呼びかけて来ました。初めて「親父」と呼ばれた瞬間です。少しの照れくささと大きな喜びで、涙がとめどなく溢れて来ました。
 今は、自ら失った幸せを子どもたちから貰っています。

(2012年3月発行『親たちの卒業文集』より抜粋)