おやのおもい

北星余市が与えてくれたもの

2005年・2010年卒業生保護者

國兼正章

 今回は、息子さんが卒業した後もOBとしてPTA活動に取り組む一方、進路に悩む若者への支援活動に数々の実績を残してこられた國兼正章さんです。
 地元新潟から寄稿していただきました。
 現在長男は32歳になる。
 彼は、17年前初めて余市に着いた時とその後の一年の辛さを、最近になって初めて語った。中学時代の辛さを語ったのもつい最近の事である。本人が当時の辛い事を語り出すために、実に17年の歳月を必要とした。
 その彼がこうも語った。
 「おれ、北星へ来なかったら、今も引きこもっていたと思う。」
 この言葉は重い。
 親である私自身も、その気持ちは同じである。北星を選ばなかったら私は息子を殺していたかもしれない。その逆もあり得たと思う。
 彼は北星で勉強しただけではない。人を学んだと思う。同じく私も北星に学ばせてもらったと思っている。
 彼が中学生であった頃、私は仕事が面白くイケイケの状態であった。怖いものは何もないという状態であった。当然、不登校の子どもの気持ちなど理解できるはずもなかった。
「学校へ行かないなら勉強道具はいらないよな。」と言って通学かばんを外へ投げ捨てた事もあった。
「生きている価値もない。」と言い放ったこともあった。今思うと背筋が凍る思いである。息子がよく生きていてくれたと感謝するばかりである。
 そのような私にも転機が来た。私自身も転職や仕事のつまずきを経験してようやく人の辛さがわかるまでになることができた。それもこれも親子共に北星によって変わることができたからと思っている。
 息子が就職して社会人になった頃、私は彼に昔の振舞いを詫びた。息子は何も言わなかった。息子に許してもらえたかどうかは今もわからない。今は息子とごくごく普通の会話をし、笑い合うことができている。
 彼は北海道に残った。高校卒業後、北海道で大学に入り、卒業後就職先に余市の介護施設を選んだ。彼は自分が変わることのできた余市へ戻った。余市に仕事を見つけ、学校の見える職場で今も働いている。
 彼は北星余市に来ることで人生を変える事が出来た。同時に親である私も変わる事が出来たと思っている。

 私はこの17年間、毎年強歩遠足に参加し、30キロを歩いている。赤井川から冷水峠に通じるだらだら坂はまさに人生そのものである。 いつまでも続くだらだら坂。一つのカーブを曲がるとそこにまた一つだらだらが続いている。
 疲れ切った足を引きずりながら登るこの坂が私の一番苦しく好きな場所である。
 この苦しい坂が私の懺悔の場所でもある。
 彼には弟がいる。その弟も北星余市に学んだ。彼の弟は私と別な確執で余市にきた。その弟については、またいつかお話ししたい。

2017年12月寄稿