おやのおもい

でも、希望は捨てないで

1997年卒業生保護者

加藤慶子

 今回は東日本OB会常連の中でも一番のベテランとしてお馴染みの加藤慶子さんです。
 教育相談会の各会場に足を運ばれ、相談者やスタッフを明るく励ます姿が印象的な加藤さん。お仕事が多忙な中、時間を割いてお話をしてくださいました。
―北星余市高校と出会ったきっかけは何だったんですか?
「朝日新聞にデカデカと載ってたんですよ。見開き2面全部に。当時は全国から中退生も含めて受け入れ始めたことが注目されていた。それを息子本人が見つけて、自分で入学を決めたんです。 多分彼なりに悩んでたんだと思う。この東京の受験戦争で有名校に行くための勉強をやらされてる、こんなの本当の勉強じゃないって。
 親として出来たのは、ただただお金を出しただけ(笑)。1人分だから出せたんですよね。
 現役時代、学校には年に1回しか行ってません。お金ないから(笑)。1年で強歩、2年で学園際、3年で卒業式。あ、あと1回、入学式があった。
 でも、PTA活動には参加しました。今と全然違って、会計もどんぶり勘定でしたよ。北と西支部はきちんとしてて、東は大雑把。 でも当時のそういうところが反面教師になって、今の東はすごく頑張ってるんじゃないですか。 ただ私自身の大雑把さは変わってないけど(笑)。」

―卒業後もPTA活動をずっと続けてこられましたね。
「子どもは3年で卒業だけど、親はさみしいから残ってわいわいやってました。仲間意識が結構あって、30期は今でも年4回集まってるんですよ。卒業の時はOB会っていう組織があった訳じゃなくて、ただ勝手に残ってたっていう感じ。『あんたたち、いつまでいるの?』って思われながら(笑)。」
―教育相談会の季節になると、東日本各地に加藤さんが現れる。
「いろんな人と会えるのが楽しくてね。寮費や学費がかからなくなったから、その分で行けている。うちの連中が快く送り出してくれて。」
―よかったですね(笑)。反対されたら難しいですよね。
「自分の家族は大事ですからね。皆さんそうだと思うんだけど、まずは自分の家族。その前提があってはじめて外に目を向けられる。
 相談会で出会った子が、入学した後声をかけてくれたりするでしょ。本当に嬉しいですね。あとは卒業してから悩んだり躓いたりして、本人や親御さんが連絡をくださることもある。そんな時は飛んで行きます。行くと、とてもアットホームないい雰囲気で、なんで悩むんだろうって思うこともありますね。」

―家庭環境がいいとしても、問題は世の中なんでしょうか。
「それはありますよね。北星余市は、生徒にとってとても恵まれた環境。それは創立したスミスさんのキリスト教的な考えが土台にあってのことなのかもしれないけど、それこそ子どもたちの周りの先生だったり親だったりが、手のひらで包むようにあたたかく見守って。でもその北星余市から出ると、躓いたりすることもある。」
―卒業した後、北星余市と世の中との違いに戸惑ったり、そこで躓いたりという話は時折聞きます。息子さんの場合はどうだったんですか?
「やっぱり、あったんだと思いますよ。何も言わないけど。息子が北海道の大学にいる時に、うちの加藤くん(旦那さんの直さん)が病気をして、そのことを連絡したらすぐ帰るって。帰って来たのはいいけど、全部辞めてきちゃったんですね(笑)。
 それから大変でしたね、うちも。やっと今は落ち着いて、ここ10年くらいかな。保育園で働いてね。最近は音楽活動に目覚めてライブもやったり。親としても意外でしたね。こんな一面があったのかって。
 ただ、落ち着くまでの10年くらいは、本人も私たち親もいろんな想いをしてきたし、現在同じように悩んでいる人の話は聞けるんじゃないかなという気がします。」

―それは重要な役割だと思います。この状態がいつまで続くのかと不安になっている人のためにも。
「時間、ですよね。時間がかかるものなんだって伝えたい。でも希望は捨てないでって。
 考えてみたら、私も北星の土俵にいまだにしがみついて離れられないでいるという意味では、北星後遺症の一人なのかもしれないね(笑)。」

2015年9月取材